Speedy社の福田社長と、宮崎駿監督原案の「うつ神楽」という人形芝居を見に、上演会場の南信州伊那谷 昼神温泉の旅館「石苔亭(せきたいてい)いしだ」に行ってきた。この話題は僕のブログ「坂井直樹のデザインの深読み」でも取り上げたが、ここではもう少し詳しく語ってみようと思う。芝居は、かねて聞いていた通り宮崎駿監督の世界観を彷彿としながらも、南信州の風土を背負った唯一無二の神秘的エネルギーを感じさせるものだった。

「うつ神楽」は、現代を象徴する病「うつ」からの解放を願う

そもそも「神楽とは何か?それは神を祀るために奏する歌舞であり、長寿や豊穣な実りを願い、災難を追い払うためのものだ。それは長い時を経て、神事芸能の形になった。宮崎駿監督原案の「うつ神楽」はその名の通り、「うつ」を祓うことがテーマとなっている。正式には「障遣願舞(さやりがんまい)うつ神楽」という。「障遣(さやり)」とは、人々の心の障害を自身の外に遣(や)ってしまうという意味であり、芝居を見た人々に多幸が訪れるように願いを込めて舞うので願舞(がんまい)という。

「うつ神楽」の上演ステージは、「石苔亭いしだ」の能舞台。古典芸能を底流に置きながらも、舞台美術は多分に土俗的でもあり、宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」に登場したカオナシを思わせる「ウツオ」の造形は、宮﨑監督へのオマージュであるかのようだ。上演時間は30分だが、まさに異界を通り抜けてきたような感覚を覚える。

画像: 「うつ神楽」は「石苔亭いしだ」に設えられた能舞台で演じられる

「うつ神楽」は「石苔亭いしだ」に設えられた能舞台で演じられる

画像: 宮崎駿監督による「ウツオ」「ウツメノミコト」のイメージスケッチ(石苔亭いしだホームページ 女将の日記より)

宮崎駿監督による「ウツオ」「ウツメノミコト」のイメージスケッチ(石苔亭いしだホームページ 女将の日記より)

この作品の脚本と監修は「石苔亭いしだ」の現社長である女将の夫君で元社長の逸見尚希(へんみなおき)氏。逸見氏は和太鼓奏者・指導者の顔も持ち、日本の伝統文化の継承に多大な貢献をされている。ある時、宮﨑監督との会話の中でインスパイアされるものがあり、6年がかりで「うつ神楽」を完成させたという。

画像: カオナシ登場? 宮崎駿さん原案の神楽公演 京都 youtu.be

カオナシ登場? 宮崎駿さん原案の神楽公演 京都

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「人形芝居」というライブ表現でこそ「うつ神楽」は生きる

「うつ神楽」を演ずるのは、人間の演者と等身大の人形たちだ。この「人形芝居」という、他では替えがたい表現形態を得て、「うつ神楽」はその意図するところを伝えるきることができたのではないだろうか。さらに「神楽」といういわばライブにこだわったことにも意味があると考える。舞台と観客の間に、その時々に応じて生成する共感の絆こそ、この公演の生命に違いない。

演者と人形の絡みによって繰り広げられる「人形芝居」の舞台

画像: カオナシを思わせる異様な面をつけて「ウツオ」が表現される

カオナシを思わせる異様な面をつけて「ウツオ」が表現される

この芝居は現代社会への極めて重要な批評だ

「うつ神楽」に託された物語は、おおよそ以下のようだ。「入らずの森」に住む「ウツオ」は「障り玉」を食べて暮らしている。その森に少女が迷い込んでくる。やがて少女と心を通わせていくウツオ。その時、森の奥から森の主の声が響いてくる。「障り玉を少女に食べさせろ」森の主の声に黒く姿を変えたウツオは少女を飲み込んでしまう。しかし少女の純粋無垢な心がウツオを女神(ウツメノミコト)に生まれ変わらせて、うつを祓うというものだ

障り玉 ネガティブワードの漢字が表面に書かれている

画像: 「うつ神楽」のクライマックス 「ウツオ」が女神「ウツメノミコト」に変身する

「うつ神楽」のクライマックス 「ウツオ」が女神「ウツメノミコト」に変身する

「うつ」という極めて現代的なテーマを扱うことで、この芝居は現代社会への極めて重要な批評となっている。数えきれないほどのストレスに起因する精神的な病はいまや日本社会の隅々まで蔓延し、「ひきこもり」や「8050問題」など数々の社会問題を引き起こしている。「うつ神楽」には、そんな病みつかれた社会(入らずの森)を、かつての健全な社会(鎮守の森)に再生し、人々の幸福を取り戻したいという切実な願いが込められている。

神々が集う土地、南信州

「石苔亭いしだ」のある南信州は、神々と親しい土地柄である。中でも飯田市遠山郷の「霜月祭り」はかつては集落の多くの神社で盛んに行われていた神事で、その起源は平安時代にまでさかのぼるそうだ。祭りのクライマックスは、いろいろなお面をかぶり八百万の神に扮した村人が、お湯が煮えたぎる釜の回りを踊りながら練り歩き、熱湯を素手ではね飛ばす。これを「湯切り」と呼ぶ。もともとは生命力の落ちる厳しい季節である冬を無事に乗り切るために始まったと言われ、「湯切り」のお湯がかかると病気にならないと信じられている。

画像: 霜月祭りの様子 釜に湯が煮えたぎっている(飯田市ホームページより)

霜月祭りの様子 釜に湯が煮えたぎっている(飯田市ホームページより)

画像: 霜月祭りの様子 煮えたぎった釜のまわりで舞う(飯田市ホームページより)

霜月祭りの様子 煮えたぎった釜のまわりで舞う(飯田市ホームページより)

画像: 霜月祭りの様子 祭りのクライマックス「湯切り」 熱湯を素手ではね飛ばす(飯田市ホームページより)

霜月祭りの様子 祭りのクライマックス「湯切り」 熱湯を素手ではね飛ばす(飯田市ホームページより)

うつを祓う「うつ神楽」もストレスにさいなまれている現代人をうつから救い、再び生命の輝きを取り戻すことがテーマになっている。その上演の舞台が、温泉旅館の中にあるというのも実に理にかなっているではないか。この南信州という土地にふさわしい人形芝居を楽しみ、「千と千尋の神隠し」の神々の入浴場面に想いを馳せながらゆっくり温泉に浸かって疲れた身体と心を癒す、この行為の全体が「うつ神楽」となっているに違いない。

極めてローカルな「うつ神楽」を世界へ

南信州という独特の風土と習俗、八百万の神というおよそ他国では見られない神のあり方、土俗的な神事や古典芸能に近しい舞台のあり方、など日本の極度に限られた小さな地域で行われているに過ぎない「うつ神楽」は、逆に世界を驚かすポテンシャルを秘めていると思う。

画像: 世界的にも精神を病んでいる人々は数知れない 「うつ神楽」は世界に求められている?

世界的にも精神を病んでいる人々は数知れない 「うつ神楽」は世界に求められている?

画像: 世界中の人々の多幸を願って神楽を舞う

世界中の人々の多幸を願って神楽を舞う

一見歌舞伎や能、狂言などの古典芸能のスタイルを借りて現代を表現しているように見えるが、そうではなく、現代日本社会を覆う精神的な病を祓おうとする情熱、いわば魂の叫びが、この独特な表現となって結実していることがわかる。これは日本に限らず世界中で普遍的に必要とされているものだろう。ぜひ、世界に飛び出して公演を成功させ、世界中の人々のうつを祓い、日本文化の新たな魅力として発信してもらいたいものだ。

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